自己紹介

自分の写真
住民代理店BOB(Break Occupied Barier)代表。自転車で俳諧するおっさん。ミッションは誰かさんを輝かすこと。

2008年12月31日水曜日

プランB

「昨日の続きは今日、今日の続きは明日」というように、
20世紀の延長で社会経済を運営していくなら(これをプランAとよぶ)、環境の悪化により、世界経済は衰退し、ついには崩壊するであろう。経済発展を維持させるためには「プランB」という新しい道を歩むほかない。
(レスター・ブラウン「プランB2.0」より)

環境の悪化の影響より
自らの欲望のつけが回って経済が崩壊してしまった。

AがだめならBある。

3.0も出版された。
2.0買ったけど、ちゃんと読んでいない。
買っただけで安心してしまった。(笑)

正月に読むぞー!
その前に腰直さんとね。
長い時間座っておられへんからね。
立って読むか!
二宮金次郎みたいに。



    大晦日AからBへ移動する    基風


      

2008年12月28日日曜日

明るいナショナル

結婚当初購入した照明具。
引退してもらった。
実に31年間我が家の歴史を眺めてくれた。

ごみとして出すために分解
プラスティック、金属、配線部分に分ける

実にねじが多い。
女工さんが組み立てたんだろうな
環境問題とかなかった時代。

トランスが実に重い…。
取りはずのにひと苦労。
(ガラスの腰が壊れそう!)

メーカー名…

明るいナショナル、明るいナショナル
ラジオ、テレビ何でもナショーナール~♪

その社名も今年で終わった。
2008年、一つの時代が幕を閉じた。
ような気がする。



      アルバムに引力のあり年用意



     

2008年12月27日土曜日

暗いから

小さな星が見える。

いのちの授業 
山田泉先生が残した言葉。

読売新聞より=========
乳がんと闘いながら、生命の尊さを考える「いのちの授業」を続けていた大分県豊後高田市の元中学校養護教諭、山田泉(やまだ・いずみ)さんが21日午前9時12分、がんのため大分市内の病院で死去した。49歳だった。告別式は23日午後1時から豊後高田市高田2137の1城葬祭高田斎場で営まれる。自宅は同市玉津1280。喪主は夫、真一氏。
 同市出身。養護教諭時代の2000年2月、40歳で乳がんを発症した。入院して放射線治療などを続け、02年に復職。「いのちの授業」を始め、多彩なゲストを招き、生徒らと語り合った。
 05年11月にがんが再発。07年3月に退職後も全国各地の学校などで講演活動を続けたが、病状が悪化し、10月下旬に入院していた。
 今月15日にはフランスのチェロ奏者との交流を描いた記録映画「ご縁玉」が大分市で公開されたが、舞台あいさつには立てず、配給会社を通じて「公開を励みに頑張ります」とのコメントを寄せていた。
 著書に「『いのちの授業』をもう一度」「いのちの恩返し」などがある。
 ◆「真っすぐな先生 あこがれていた」
 山田さんの死去に、親交のある人たちから悼む声が相次いだ。約5年前、「いのちの授業」に招かれた村山富市元首相(84)は「病をおして子どもと向き合い、語りかけることはなかなかできることではない。残念でならない」と惜しんだ。
 山田さんはハンセン病を学ぶため03年8月、熊本県合志市の国立ハンセン病療養所・菊池恵楓(けいふう)園を生徒とともに訪れた。それ以来の付き合いという入所者の阿部智子さん(68)は「子どもたちに多くのことを学ばせたいと、体のつらさをこらえて頑張っていた。10月に会った時は元気そうだったのに……」と振り返った。
 記録映画「ご縁玉」を撮影した江口方康監督(44)は「不思議な磁石を持った人で、自分もその魅力に引かれた。いただいた力で前に進んでいきたい」と話した。
 豊後高田市立田染(たしぶ)中時代の山田さんの教え子で、大学2年生の永岡美鈴さん(19)(山口県下関市)は「何事にも真っすぐに突き進む先生の姿にあこがれていた。ゆっくり休んでほしい」と言葉を詰まらせた。
========

いろいろなことが起こると
座標軸がずれる

中心は生命。
「生きる命のもとぢから」

ギックリ腰はそのことを教えてくれた。

自分の中の中心点それを見つけること。
外にばかり目を向けていると
内なる自分を見失う

そこで腰が痛くなって
警告してくれたってわけですな。



     中心を探りあぐねて年の果て   基風  




       

2008年12月25日木曜日

情けねえ

どうもくせになったみたい…
ギックリ腰。

寒い朝、気をつけましょう!

一日中、炬燵で横になっていた。
昼のテレビ、久しぶりに見た。
体の向きを変えるのも大変。
起きる時はもっと大変。
(「リアル⑧」で脊椎を損傷した高橋が
床トラというリハビリの訓練をするシーンがあるがそれを思い出す。)

テレビでは暗いニュースばかり…
飯島愛死去、派遣社員のリストラ、娘が父を殺人、火事etc.
渡辺喜実議員の戒告処分。

この国、混乱してます。

大企業の派遣社員は解雇とともに
社宅や寮も追われる。

冷たい。人間のすることではない。
個人ならそんなことはできないのに
法人となると平気でそんなことができてしまう…。

空いた社宅や寮を一時的にでも
市町村の公的な施設にして
次の目途がつくまで住んでもらうなんてことは考えられんのかな?

情けねえ。肝心な時だというに…。
この国も、この俺も。


      
      引き返す時を忘れて冬茜    基風


               

2008年12月23日火曜日

公益資本主義

12/20(土)の朝日の土曜版
原丈人(じょうじ)さん。 http://www.1101.com/hara/

「心が海に乗り出すとき新しい言葉が筏を提供する」
(ヨハン・ゲーテ)

塩見直紀さんが「半農半X」というキーワードを
筏として世の中に流し始めて数年。
心の中に原型が現れたのが1995年。13年前。
星川淳さんの「半農半著」という言葉にであった頃…。

この言葉も原さんの心の中で暖められてから10年経つという。

新しい基幹産業は新しい経営理念で生まれるべきだーーーー

株式資本主義の中で
「何か変だ、おかしい」と感じながら会社に通っていた。

この言葉が当たり前の世の中になってほしいね。



    自動車も家電も揃って冬支度    基風



      

2008年12月22日月曜日

蜜柑

D社の先輩Mさんより…。

私の田んぼの米との物々交換。

無選別。

ノーワックス。

早速食す。

甘さが奥深い。

完熟収穫、土蔵で熟成とのこと。

都会の人間にはわからないいろんな工夫や苦労があるんだろうな・・・。

お礼の電話をしたら奥さまが

「もう畑に行ってます」とのこと…

ああ、俺も言ってみたいなあこの台詞。

有難うございました!

心をこめていただきます。




       初みかん島の緑に瀬戸の青     基風



     

2008年12月20日土曜日

四暗刻

ここつかの忘年会。
横にお座りになったのが、YIさん。
TIさんのお母さん。
私がここつか最年長だったがその座を奪われてしまった。

「若石(じゃくせき)」をやっておられるとのこと

先日のパソナの忘年会。
私の前に座ったSさんも「若石」をやっておられる。

ポーカーでいうと
「ワンペア」完成。
おふたりは互いにそれぞれの存在を知らない。

このところこういう現象に遭遇することが多い
キーワードが揃うのである。

今回のキーワードは「若石」
台湾で発祥された足つぼ健康法

内容を聞いてみるとなかなかよさそうである。
また、追いかけるものが増えそうである。

ここで私が若石健康法を始めると
「スリーカーズ」になる。

マージャンでは「暗刻」。

話していくうちに驚いた。
YIさんとはキーワードがびしびし一致した。

彼女は…
私が以前勤めていた会社の「ライバル会社」にいたことがあった。
「俳句」もやったことがあった。
ある俳句結社に籍はあるそうだ。(わたしもその結社に誘われたことがあった。)
極めつけは祖父様のルーツが…「綾部」。

私は軽い衝撃をうけた。
「四暗刻」が完成したような感動である。

人との出会いは摩訶不思議である。




       忘年会親戚かもね初対面    基風


       

2008年12月16日火曜日

援農

篠山。
Aさんの伝手で
有機農業を実践されているSさん宅へ。
Aさんの友人のYさんも一緒。
この家で農業を1年間研修しているKさんも少し遅れて登場。

福知山線草野駅下車。
綾部の田んぼに行く時車窓からいつも見ている風景の中に
そのお宅はあった。

本日の作業は
黒豆の選別。

写真のような選別用の箱に黒豆を入れて
左右にゆすると皮の向けたものとか割れたもの
いびつなものが見つけやすくなる。

それを手で選びとって
丸いもの、傷のないものだけにする。

へぇー。こうやるんだ。

私の記憶では
スーパーで売られている豆類は
みんな粒がそろっている。

誰かがこういうふうに傷のないものを選び
さらに粒をそろえて
量を量って袋に分けるという工程を経ているのだ!

Sさんの所は有機農業を実践していて
阪神間の会員に販売されるので

粒をそろえるという工程は踏まずに
割れたり皮がむけたりしているものだけを取り除くだけ
なるべく畑の姿そのままにというポリシー。

一般的には商品価値を高めるために
丸くて大粒のものを
人手でえらんだり高価な選別機に掛けたりするそうだ。

何気なく商品棚に並んでいる
豆にもこんな苦労が隠されている

知らなんだ知らなんだ。

Sさん宅のご当主は
30数年前変わり者と言われながら
有機農を始められたパイオニア 。

「かけ値なしに80歳になりました。ハハハ!」
車座になって豆の選別をやりながら
古老の話を聞く 。

地元の小学校に呼ばれ3年生に
川の話を2年続けてやったそうだ。

その時もらった生徒たちからの
感想文を「宝物です」と言って見せてくれた。

「川じい」としての授業。
童謡「春の小川」は3番まであったこと
文語体は小学生に難しかろうと文部省が
口語体にして、2番までにしてしまった。
その3番こそ作者が言いたかったこと。

一、
春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
にほひめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。

二、
春の小川はさらさら流る。
蝦やめだかや小鮒の群に、
今日も一日ひなたに出でて
遊べ遊べと、ささやく如く。

三、
春の小川はさらさら流る。
歌の上手よ、いとしき子ども、
聲をそろへて小川の歌を
うたへうたへと、ささやく如く。

そこで、クラス一人一人で4番を作ろうという試み 。

実際に川に入って
魚の取り方を教える 。
網を魚のいるであろう前方に置き
足で追い込む方法。

それを経験させて詩を作らせる。

音楽、社会、国語、理科、見事な総合学習 である。

憲法9条の話
武庫川の治水委員会の話
俳句の話、水鶏(すいけい=くいなのこと)という俳号を持っておられた!
菜の花プロジェクトの話。
そこでコンサートをやりたいという、曲目は「おぼろ月夜」。

縦横無尽によどみなく幅の広い、奥の深い話が出てくる

塩見直紀さんが村の古老に話を聞いて回る
「村の光カフェ」を思い出した。

今日、初対面のYさんと Kさんとも
恐ろしいほど話が合った。

農的生活を目指す人たちとの
静かだが劇的な出会いの日だった。

Aさん、素敵なご縁をありがとうございました!!



     短日や古老の話序のままに    基風



       

2008年12月13日土曜日

いい朝だったのに…

犬の散歩毎日毎日ご苦労様です。
大変でしょうね。

子供にせがまれて飼ったのでしょうね。
子犬の時はかわいいしね。
子供も「世話はするから」なんて言ったんでしょうね

でも、犬も子供も大きくなっていくことを
その時あまり考えていなかったのでしょうね

子供も犬もおおきくなって
あなたの言うことをきかないようになったのでしょうね
結局、朝の散歩はあなたの役目になった。
そうでしょ?

今日のような寒い朝は早く散歩を終わらせたい。
その気持ち、よーくわかります。

でも、お願いですから
犬の糞はお持ち帰りください。

家の前の歩道の植え込みに
放置するのはやめて下さい。


      
      いい朝もかなワンあさにフン慨す    甚六



       

2008年12月11日木曜日

開店

パソナ起業グループのHさん。
12/10に念願の自分のお店をオープン。

パソナのコンサルのSさんの呼びかけで
同窓生、現役生でお祝いに駆けつけた。

場所は和泉府中。
思ってたより近い。
天王寺から20分強。

鶏の水炊き専門店。
「店のスープなんか目じゃない。おれの作ったスープがイッチャンうまい。」
と豪語していた。

ほんまかいな?
灰汁も、油もきれいに掬ってある。
これに、Sさん直伝の塩を一つまみ。

「ウーン、うまい!」
舌鼓。舌鼓。 タンタンタン。
これまで食べた中で一番うまかった。

営業マンからの転身。
その時身につけたというより
天性のコミュニケーション能力で
誰とでも話ができる。
丸顔の風貌といい
まさに食べ物屋の店主がぴったりくる。
奥さんも、子どもさんも後押ししてできた自分の店。

「自分の好きなことをやって、おいしいと言ってもらえて、お金がもらえる
こんな楽しいことはない。」とのこと。

良かったね。Hチャン。
また行きます。

店の名前?
簡単には教えられません。



       はまどり屋笑顔の集ふ開店日     甚六



        

2008年12月10日水曜日

ヨーガ

ここつか(心の使い方研究所)の道場。
合気道のつもりで行ったら
今日はヨーガをやるとのこと。

田中先生のポンユウのKさんが本日の講師。
男に人でヨーガをやっている人に始めて遭遇。
(女の人が多そうなので、これまで習いに行こうと思ったこともない。)

いやー、ここつかにはいろんなタレントが集まってるねー。

退職後、新しい友だちができるやろか?
などと心配したが、杞憂。

次から次へと魅力的で楽しい人物が出現。
各自に共通しているのが
前向きなベクトルを持っていて
自己実現に邁進しているところ。

調身、調息、調心
ゆっくりした動きと、息をあわせながら
いろんなポーズをとる。

しっかり形を作れない。
それでもいい
無理せずに
いた気持ちイイところでキープ。

これから風呂上りにやりませう。

     冬の雨迎への車有難し    基風

        

2008年12月8日月曜日

白雪姫

まんぼう設立10周年公演。
「楽笑・まんぼうショー 白雪姫」
チラシ原稿出来ました。

印刷に回しました。

私も写ってます。(笑)

大阪市中央公会堂。
収容人員1200人!

来年2月8日(日)13:30~ 中之島までぜひお越しいただきたく…。

スケジュールに入れていただければ幸いです。 



       歳月も枯れ葉も飛んでけせらせら   基風
         

2008年12月7日日曜日

綾部里山交流大学

「もみじ鏡」

大空も。白い雲も。

冬木立も。散紅葉も。

虚も。実も。



「再会」

わーい。また会えたね!

みんなでいるとあたたかいね。



塩見直紀さんの「情報発信学」講座。
心に残った言葉

「どんなに山奥の村でも、書き手と写真の撮り手がいれば、全国発信可能」
「半径3キロにこだわる」
「看板をあげると人が来る」

コントラストの強い
冬の午後の日差しの中
受講生はデジカメで村の取材。
自分の感性だけを頼りに
里の風景を切り取り、コメントを付ける。
という課題に取り組む。
私の作品は上記のとおり。


      冬日向自己紹介は三分間    基風



      

2008年12月5日金曜日

田舎へ行こう!

地球は温暖化の傾向だが
景気の悪化で雇用はさらに冷え込む気配。

企業の数そのものが減少。
銀行だけでも合併・統合を繰り返して
いわゆる都市銀行は
みずほ・三菱東京UFJ・三井住友・りそな

これだけ?

そら、厳しくなるわな。
従来の常識はとっくに通用しない。
なんとか周りに合わせていけば
何とかなったわれわれの時代とは大違いである。

若い人に相談を受けるとき
もし私が、今、20台の独身であるならば
迷わず、田舎に行くけどね。と答える。

メディアの発達で情報格差はないし
食べ物は新鮮で・安心だし
野太い子供を育てたいなら・・・

じぇったいに田舎でしょう!

ということで、明日から綾部里山交流大学(マスターコース)に参加します。
半農半Xの塩見直紀さん直々の講座を受けてきます。
楽しみ、楽しみ・・・。         


      裏向きに欅落ち葉のしがみつく    基風

                          

2008年12月1日月曜日

NHK生涯福祉賞

http://www.npwo.or.jp/library/award/

第2部門に応募したけどダメでした。
全国にはもっと凄い人たちがいるんですね。
でも、いいです。精一杯やりましたから…。

以下全文掲載します。
====================

輝け!私たちの希望
原田 明

「まんぼうショー」
「はい、この帽子をかぶって。ベストも着て下さい。」
女の人は言った。
「俺もステージに立つんかいな?そんなん聞いてないでえ…。」
頭の整理がつかないまま音楽が流れ出した。
「ズン、チャカ、ズン、チャカ~♪」
黒のソフト帽に、黒のベスト。これは何かミュージカルのオープニングのようではないか?前列にはメンバーの皆さん。知的障害者と呼ばれる人たち。こんな間近で、こんなに大勢、一度に出会ったことはない。みんな、リズムに乗って踊っている。うまいもんだ。
彼ら彼女らの振りを真似してなんとかついて行く。少々間違えても気にしない。もう破れかぶれ。あっという間に一曲目が終わる。
えーっと、次は、舞台に吊るしてある、お月さんの表情を二度、変えるための仕掛けのところだっけ…。カーテンの裏側に身をひそめる。メンバーさんのセリフに合わせて、重りにくくりつけてある紐を解く。セリフが来た!今だ!紐を放す。ふー。なんとかできた。(と思う)
ええーっと、次はと…。

社会起業家
二〇〇六年三月、私は五十四歳。二十二歳で広告代理店に入社以来、早くも三十二年間の月日が流れていた。ちょい上の先輩たちが定年退職を迎えて会社の風景も少しずつ変わっていた。
「昔は、五十五歳で定年やったから、あと一年足らずで定年やったんや…。」
仕事や、家庭の諸事に追われるように過ごしてきた。知らぬ間に前髪はなくなり、胴回りはメタボの基準をはるかに超えた。机も窓際に近づき、現場の仕事は若い世代がバリバリこなしている。
「これから、俺はどういう人生を生きるのか?」
時折、漠とした不安に襲われる…。そんな折、「社会起業家」という言葉を聞いた。当時ホリエモンがネットビジネスの寵児として、もてはやされていた。ネット起業家はダメでも、この方面なら出番がありそうな気がした。「社会企業家」を検索すると、大阪NPOセンターで「社会企業家カフェ」という催しがあるという。早速行ってみた。
毎月一回、社会起業家として活躍している方の経験談を聞いた。ホームレスの人を雑誌販売員に登用するビジネスや、引きこもり児童の世話、精神障害の若者たちの仕事づくりなど様々な社会起業家たちが活躍していた。実利本位の大阪でもこんなに社会的に意義のあることを実践している人たちがいるんだと感心した。
翻って、
「自分はどうなんだ?」
と自問する。私にはやりたいことが具体的に思い浮かばなかった。また、身の回りに解決すべき切実な問題も見当たらない。
「うーん、どうするか?」
結論は、
「誰かの助っ人になろう!」
であった。いきなり社会起業家を目指すのではなく、社会的に意義のあることをやっている人の助け手になろう!そのための現場を探そう!と思い立った。
そこで、その「起業家カフェ」のオーナー役であったNさんに
「いいところがあったら紹介してください。」
とお願いした。私は決心していた。より好みはせず。最初に紹介されたところへ出向いてみようと…。
しばらくしてNさんから
「『まんぼう』という知的障害者の作業所があって、ユニークな活動をしています。ミュージカルを踊るんです。今度催しがあって、私も出ます。一緒にどうですか」
という誘い。臨んだのが冒頭のシーンである。

素適な職場
手品やクラシック音楽に合わせた優雅な踊り、バラード調のラブソング、法被姿の「ソーラン節」、手話を交えた合唱、扮装がおもしろい「ドレミの歌」、そして「マンボ№5」に乗って「マンボ!マンボ!」と連呼しながら踊るフィナーレ。それぞれの場面場面で、衣装の早変わりがある。その都度さりげなくメンバーの手助けをする。歌舞伎の黒子のようだ。またたく間に「まんぼうショー」は終わった。
ステージに立ちライトを浴び、音楽に乗って体を動かし、観客の拍手をもらう。高校の文化祭以来。なんとも言えない緊張感と充実感。衣装や道具を片付けている間に、興奮が去り、我に返る。すると、事前にメンバーとの間にあった壁のようなものが消え、同じステージを踏んだ仲間のとしての一体感がじわっと湧いてきた。彼らに障害(差し障りや害)なんかないじゃないか?彼らの方が断然うまいじゃないか!
その後、機会があるごとに「まんぼうショー」をサポートした。小学校でのステージではビデオ撮影、「まんぼうショー」のパンフレット制作、ホームページ更新。手伝うことはいくらでもあった。その都度、初めて出演した時、私に帽子とベストを渡した女性、所長のMさんは「ありがとうございます!」と、深々と頭を下げてくれた。NPO法人というのでもう少し組織立って動いているのかと思ったが、「孤軍奮闘」が実情だった。
勤務先は五千人の社員を擁する上場企業で、毎年熾烈な競争を潜りぬけた新人が百数十人入社してくる。一応管理職ということで仕事は現場がやってくれる。私の代わりはいくらでもいた。
一方、「まんぼう」では、作業室に入るとメンバーのTさんが大きな声で
「原田さんが来た!」
と歓迎してくれるし、みんな笑顔で迎えてくれる。期待度が違う。Tさんはいつも明るいまんぼうのムードメーカーだ。発語はないが張り切りガールのYさん。キラキラしたきれいな瞳で歓迎してくれる。背が高くハンサムボーイのIさん、まんぼうのリーダー的存在だ。普段はおとなしいが、ステージではドレスを着てはっきりと台詞をいうMさん。人前で緊張することを舞台に立つことで徐々に克服したFさん。ダンスの振りがしっかり身についていて、この人がいなければだれも踊り出せないNさん。小さな体でいつも一生懸命、鋭い突っ込みはピカ一のHさん。歌も踊りもうまいはずだが、今はまだ隠しているTさん。いつも元気にあいさつをしてくれるKさん。自由に踊らせるとこの人のノリには誰もついていけないNさん。
いつしかこの十人の小さな工房に魅せられていった。ゆっくりとした自然な時間。どこか懐かしい、ほのぼのとした雰囲気。とても素適な職場なのである。

父の死
「ここで働けたらいいな。…定年後か?あと数年。いや、そんなに待てない。いますぐにでも…」
思いは日に日に膨らんでいく。一方で地位や給料を捨てきれない自分もいて、迷いの日々が続く。そんな折、二〇〇六年九月二十三日、父が死んだ。その三年前に脳梗塞で倒れ、一時元気になったものの二回目の梗塞でほぼ寝たきりになっていた。幸いにして死に目に会うことができた。人の死に接するのは初めてだった。夕方六時二十八分二十秒。小さな息を吸いこんだまま、父の息は戻ってこなかった。
「人間は本当に死ぬんだ…。」
父は行動する人であった。新しいことにチャレンジするのが好きだった。失語と右腕の麻痺、どんなに無念であったろう。最期に言いたかったことは何だろう?慌ただしく葬儀が終わった後、私は考えた…。
心に父の声が響く
「人生一度だけ。お前の思うようにやれ!」

早期退職と住民代理店
会社では数年前から不定期に早期退職希望者の募集があった。今度その募集があったら必ず応募しよう。そう心に決めた。果たせるかな、その三ヶ月後、十二月二十五日、早期退職希望者募集の発表。
「来た!チャンス到来!」
退職金や年金の収入予測と家計の支出予測のシュミレーションをした。なんとかやっていけそうだ。そして翌二〇〇七年三月末、三十三年間のサラリーマン生活に別れを告げた。
退職前、同僚たちが代わる代わる、送別会を催してくれた。
「定年まであと五年。思い切りましたねえ」
「NPOだって?いいなあ、やりたいことがあって…。」
「原田さんらしいなあ。」
「わたしも興味あるんです。NPO。頑張ってくださいね。」
といろんな声をかけてくれた。わたしはこの会社が好きだった。辛いこともあったが、明るい自由闊達な雰囲気が好きだった。聡明かつ柔軟な発想の人材がたくさんいた。その人達から様々な問題解決法を教わった。
広告代理店は株式会社という性格上、どうしても大きな広告主、大きな仕事をねらうことを求められるが、その組織から離れるならば、個人事業や小さな仕事でも、広告のノウハウ、すなわち、ある事業(商品・サービス)の価値を整理しわかりやすく、効率よく他者に知らせることはできるのではないか。規模は小さくても社会的に意義のある事業を展開している人はたくさんいる。その人達の助けに少しでもなれたらいい。そういう住民側で頑張っている人の代理店があってもいいのではないか?そうだ住民代理店になろう!
退職後の二〇〇八年四月から、今後の重要分野を、環境、福祉、教育にしぼり、それぞれの分野での現場を決めた。福祉の分野の現場はもちろん「まんぼう」だ。週二回、M所長のやってほしいことを聞き、形にする。助成金申請書の作成、関係団体の会合参加、バザーの準備、イベントの案内状の作成等。久しぶりの現場作業は楽しかった。
同時に外部からではわからない、福祉事業の現実を知った。収入の大部分は公的な助成金であること、自主製品の販路獲得の難しさ、人材確保の難しさ等、問題が山積している。特に障害者自立支援法の制定により、現状の活動の継続が危ぶまれていることは大きなショックだった。現在、事務局長の肩書をいただき、いろんなセミナーに出かけて勉強中。業界用語の連続で門外漢にはわかりにくいことも多いが、「まんぼう」が存続するために一肌も二肌も脱ぐつもりである。

可能性開拓集団
なぜ、そうするのか?第一の理由。「まんぼう」がとても人間的なサイズで、居心地がいいこと。人類の生産活動はすでに地球の循環を破壊するまでに増大している。物の豊かさと心の豊かさが直結しないことは、昨今の様々な事件や世相を見れば明らかである。これからの時代は、人間サイズの規模で、心豊かにコミュニティの人たちと過ごすことが求められている。
第二は「まんぼう」の理念の先見性。法律的にはNPO法人で(知的)障害者福祉作業所ということになっているが、M所長の狙いは、障害の有無、国籍、性別、年齢の壁を越えた人類の可能性の開拓である。細かく縦割りになった行政の世界観や、ターゲットのセグメントに神経を使う企業のマーケティング論を超越している。
「みんな一緒の人間やんか」
多様性を受け入れる大らかな感覚がとても先進的である。これは「まんぼうショー」で、メンバーさんと一緒に踊り歌うことで体感できる。(見ているだけでは決してわからない。)

輝け!私たちの希望
当初、私はメンバーさんを障害者という側面だけからしか見ていなかった。しかし、「まんぼうショー」や作業所で彼らとコミュニケーションを交わすことによって、障害のあることは一つの側面にすぎず、彼らには、豊かな個性、才能、可能性があることを知った。
「まんぼう」のスローガン

Mind is Active and Natural. Brighten up Our Wish!
心はいきいき、自然に。輝け!私たちの希望。

これは、地上に生を受けた人間すべてに対するメッセージである。
私は、まんぼうで歌や和太鼓や踊り、自主製品作りをメンバーたちと一緒にやって、自分自身にもまだ発揮されていない才能があるのを知った。その喜びを多くの人に知ってもらいたいと思い、二〇〇八年四月にサポーターズクラブ「まんぼう倶楽部」を発足させた。この倶楽部を通じて一人でも多くの人が、障害者の存在と彼らの素晴らしい才能と個性に気づいてもらいたい。同時に、自身に隠れている才能や可能性にも気づいてもらいたい。
毎週第三土曜日に会合をもち、メンバーと一緒にダンスを踊り、歌を歌う。リズムに乗って体を動かし、腹式呼吸で大きな声を出す。歌唱指導は声楽家U先生。ダンスはエアロビクスのインストラクターライセンスを持つM所長。スタッフのTさんもピップホップのダンサーである。とにかくとても楽しい。七月現在、倶楽部員は十一名。各方面で豊富なキャリアを持つ人たちである。
来年の二月八日、大阪市中央公会堂で「まんぼう設立十周年記念公演」が開催される。一五〇〇人収容。大阪の伝統的な建物である。この晴れ舞台を成功させるためには、もっと多くのサポーターが必要である。倶楽部員同士のネットワークが広がって、新しい交友関係が構築されるだろう。これからどんな人材が現れるのか楽しみである

まんぼう(満望)の海
「まんぼう」と出会う前、障害者のことについて全く何も知らなかった。身体、知的、精神という区別も知らなかった。
二〇〇六年四月に施行された障害者自立支援法の第一条には、
「障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする」
と明記されている。こんな当たり前のことが、たった二年前に制定されたのだ。それまでの障害者本人と家族の苦難の歴史を思うと、厳粛な気持ちにさせられる。しかも、法律上の文言は理念を表しただけ、現実はそうでない部分が大半だと思う。
これまで障害者は地域から離され、障害者福祉という枠組みの中で、生活せざるを得なかったのではなかろうか?その枠組みから彼らを開放し、それまで自分には関係ないと思っていた一般の人々もその輪に入る。そこには障害者本人もその家族も、一般の人もだれも到達していない未知の世界があるのではないだろうか。
「まんぼうショー」はその世界へ導く架け橋として絶好のコンテンツである。

まだ誰も行ったことのない世界、みんなの希望がかなうところ。
私はそこを「まんぼう(満望)の海」と呼ぶ。




参考文献:「創発型地域生活支援ガイドブック2008」 編集/特定非営利活動法人ふわり