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住民代理店BOB(Break Occupied Barier)代表。自転車で俳諧するおっさん。ミッションは誰かさんを輝かすこと。

2008年12月27日土曜日

暗いから

小さな星が見える。

いのちの授業 
山田泉先生が残した言葉。

読売新聞より=========
乳がんと闘いながら、生命の尊さを考える「いのちの授業」を続けていた大分県豊後高田市の元中学校養護教諭、山田泉(やまだ・いずみ)さんが21日午前9時12分、がんのため大分市内の病院で死去した。49歳だった。告別式は23日午後1時から豊後高田市高田2137の1城葬祭高田斎場で営まれる。自宅は同市玉津1280。喪主は夫、真一氏。
 同市出身。養護教諭時代の2000年2月、40歳で乳がんを発症した。入院して放射線治療などを続け、02年に復職。「いのちの授業」を始め、多彩なゲストを招き、生徒らと語り合った。
 05年11月にがんが再発。07年3月に退職後も全国各地の学校などで講演活動を続けたが、病状が悪化し、10月下旬に入院していた。
 今月15日にはフランスのチェロ奏者との交流を描いた記録映画「ご縁玉」が大分市で公開されたが、舞台あいさつには立てず、配給会社を通じて「公開を励みに頑張ります」とのコメントを寄せていた。
 著書に「『いのちの授業』をもう一度」「いのちの恩返し」などがある。
 ◆「真っすぐな先生 あこがれていた」
 山田さんの死去に、親交のある人たちから悼む声が相次いだ。約5年前、「いのちの授業」に招かれた村山富市元首相(84)は「病をおして子どもと向き合い、語りかけることはなかなかできることではない。残念でならない」と惜しんだ。
 山田さんはハンセン病を学ぶため03年8月、熊本県合志市の国立ハンセン病療養所・菊池恵楓(けいふう)園を生徒とともに訪れた。それ以来の付き合いという入所者の阿部智子さん(68)は「子どもたちに多くのことを学ばせたいと、体のつらさをこらえて頑張っていた。10月に会った時は元気そうだったのに……」と振り返った。
 記録映画「ご縁玉」を撮影した江口方康監督(44)は「不思議な磁石を持った人で、自分もその魅力に引かれた。いただいた力で前に進んでいきたい」と話した。
 豊後高田市立田染(たしぶ)中時代の山田さんの教え子で、大学2年生の永岡美鈴さん(19)(山口県下関市)は「何事にも真っすぐに突き進む先生の姿にあこがれていた。ゆっくり休んでほしい」と言葉を詰まらせた。
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いろいろなことが起こると
座標軸がずれる

中心は生命。
「生きる命のもとぢから」

ギックリ腰はそのことを教えてくれた。

自分の中の中心点それを見つけること。
外にばかり目を向けていると
内なる自分を見失う

そこで腰が痛くなって
警告してくれたってわけですな。



     中心を探りあぐねて年の果て   基風  




       

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