このごろよく天王寺に行く。
悲田院町という町名がある。
天王寺駅の北側。
ウィキペディアによると…。
悲田院(ひでんいん)は、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設。
聖徳太子が隋に倣い大阪の四天王寺に四箇院の一つとして建てられたのが日本での最初とする伝承があり、敬老の日の由来の俗説の一つである(四箇院とは悲田院に敬田院・施薬院・療病院を合せたものである)。
もし、聖徳太子が生きていたら…。
各寺院に指示を出し、境内にテントを張るように命じたのではないか?
寒風や和の国の心もとなし 基風
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