梅雨が明けた。
8月にだ。
変でっせ、なにか変。
ある時代の終焉。
1760年代の産業革命から約250年続いた
工業化社会から情報化社会
人間の脳は自分の分身のような電脳を生み出し
情報という名の知識は
図書館に埋蔵されるものではなく
ネットワーク上を高速で行き来するものとなった。
確かに便利になった。
でも変でっせ。何か変。
「ヒトは『外部の自然』を従え、それを統御してきた。
多くの賢者が、自然はやがてそれに復讐するであろうと語った。
自然を甘くみるな、と。・・・・
しかし、ここまで来ればわれわれに復讐すべき自然が実はどこにあったかは、
もはや明瞭であろう。それ『外部の自然』ではなかった。
ヒトの身体性であり、ゆえに脳の身体性だったのである。
自然はどこに隠れたわけでもなく、失われたわけでもない。
我々ヒトの背中に、始めから張り付いていただけのことである。」
(唯脳論:養老孟司256ページ)
身体性って何でしょうか?
生きているということ
そして死ぬということでしょうか?
呼吸(鼻の奥)、歩行(足の裏)、咀嚼(顎)を意識する。
迷った時は基本に帰る。
小さなことは素晴らしい。
新しい時代はもうとっくに始まっている。
思いもよらないところで
これまで見向きもされなかったところで
ひっそりと、しかし確実な胎動がそこかしこで始まっている。
梅雨明けやまず拭き掃除拭き掃除
梅雨明けや元大統領始動せり
梅雨明けや大風呂敷を広げませう
梅雨明けや足の裏には地球あり 基風
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