自己紹介

自分の写真
住民代理店BOB(Break Occupied Barier)代表。自転車で俳諧するおっさん。ミッションは誰かさんを輝かすこと。

2008年6月29日日曜日

転校生その2

最初のテストで満点を取った。
それは、東京の中学の進度が速かったので
すでに習っていたことだったから…。

進学熱は東京の方が数倍熱かった。
4年生のころから近所の「大陽学園」という塾に通った。
5年生になると毎週日曜日に下高井戸まで模擬テストを受けに行った。
6年になると「日本進学教室(だったと思う)」という所に行った。

お母さん方が塾の先生に群がるようにして
「うちの子をよろしくお願いします」などと言っているので興醒めした。

結局親父の「公立でもいいんじゃないか?鶏口となるも、牛後となるなかれだ」
という一言で公立の中学に通うことになった。

大体同じレベルのK君は麻布に行った。
後に聞いたがA君とU君は東大に行ったそうだ。

ふたりとも自分より少し下の成績だった。

あのまま東京に住んでいたら?

ま、そんなことは考えても仕方がない。

辿る道は一本だけ。

    

    茗荷の子気になるあの子転校生     基風



                  

2008年6月28日土曜日

転校生

私は転校生だった。

東京からまだ田んぼの残る関西の新興住宅地へ…。
中学2年になった時だった。

転校先の中学校に最初に登校した日
親父と一緒だった。
多分お袋は妹についていったのだろう。

中学校に着くと親父は
「校長室に行こう!」と
いきなり校長に挨拶。

挨拶の後、
担任の先生が呼ばれて
俺はその先生について新しいクラスへ
親父はここで帰っていった。
(親父が学校に来たのは後にも先にもこれっきりだった。)

そのクラスには後二人転校生がいた。
O君とN君。

この3人に共通していたのが
カバンだった。

3人とも肩にさげる白いズック製のカバンだった。

このタイプのカバン、その中学では標準ではなかった。
みんな黒っぽい布製の手提げカバンだった。

私の帽子はつばの短い丸い形だったが
みんなはつばの長いアンパンのような形。

担任はT先生。女性で理科の先生。
私は最初のテストで満点を取った。

「ひとり、満点がいます。」

先生の視線が後方に座っていた俺を向く
クラス中の顔が振り返って俺を見た。

それと、時期は定かではないが(たぶん5月)
クラス対抗のリレーがあった。

私は4番目の走者で
先頭にやや遅れて2位でバトンを受け取った。
小学校では鈍足の代名詞であったが
なぜかその時に限って、先頭に追い付いて
次の走者I君にバトンを渡した。

「あいつは誰や!」と学年主任のU先生が本部席で声を上げたと
担任のT先生から聞いた。

かくして転校生は華々しいデビューを飾ったのである。



    半夏生クラスに馴染む転校生   基風


                           

2008年6月25日水曜日

蛙の王国

ひと駅前で降りて
家まで歩く。
このルートは中学への通学路だった。

東京から
この街に引っ越してきたのは
中学2年の春。
もう43年前!

周囲は田んぼばかりで
夜になると蛙たちの大合唱。

転校して間もないころ
ある日理科の授業で
先生が「次は蛙の解剖をする。
蛙を捕まえて来てこい、なるべく大きいやつ!」
と言った。

東京の杉並区、いわゆる山の手のお坊ちゃんだった(?)私は
雨蛙は捕まえたことはあったが大きい蛙なんて手に持ったことがなかった。

明日はその授業という日…。
私は意を決して近所の田んぼに出かけた
一人では怖かったので妹を誘った。 (笑)
(まだ、親しい友達がいなかった)

東京からの転校生には蛙なんか捕まえられないと
思われたくなかった。

田んぼに入ったものの小さい蛙はいるが
解剖に適した大きなやつなどいそうもなかった。

諦めて帰ろうとしたとき
「ドボン」という音がした。
見ると、東京では見たこともないような
大きな蛙がいた。

手で捕まえる?
それはできないと思った。
そこで、持って行った缶を蛙の鼻先へ
後ろからチョンと脅かすと、
蛙の方から飛び込んできてくれた。
やれやれ。

翌日学校に蛙を持って行くと
クラスの中で2番目に大きな蛙だった。
教科書にはエーテルなどで蛙を眠らせると書いてあったが
その先生は
「薬品代がもったいないので、足を持って蛙の頭を机の角にぶつけろ」
という指示を出した。

クラス中から「ええー!!!」という声が上がった。
私のグループでは「誰がすんねん」
「そら、持ってきたもんやろ」ということで
私に執行人の役が回ってきた。

ここでも、東京もんはできないと思われたくなかった。
意を決して蛙の足を持って、何度かためらいながらやっていると
先生が「一思いにやれ!そのほうが蛙のためだ!」
(あんたらの教材費節約のためやろ!)
今だったら、動物虐待で訴えられるでぇ。

解剖すると卵巣を持ったメスだった。
インパクトが強かったので
もう43年も前のことなのによく覚えている。

平成の世も20年。
わずかに残った田んぼ…。
稲以外の草は一本も生えていないし蛙の鳴く音もない。
除草剤、農薬のせいである。

わが綾部の田んぼにはいろんな生物がいる
生物多様性に満ちている。

行くぞ!コナギよ待ってろ!
   
     
   
        王国の栄光何処やせ蛙      基風



      

2008年6月24日火曜日

いっしょに

中央区フィランソロピー懇談会
まんぼうもメンバーなので
昨年から出席させてもらっている。


本日はまんぼうでの良き相棒
F社Iさんの発表。


日頃の活動の報告だったが
閉塞的な現代において
自らが起点になって
身の回りから動かそうとして
いることがよくわかった。

やはり、ただ者ではない。


彼の作ったスローガン


  みんなと       いっしょに考えて

            いっしょにできること

           いっしょにやりましょ!



シンプルだが
なかなか現実化できないことだ。


Iさん。(通称Kさん)
今後ともよろしくお願いします!






      くちなしの香りと一緒に散歩道     基風

             

2008年6月22日日曜日

雨メニモマケズ

今日は雨
こんな詩を思い出してネットで検索しました。
原文です。

 「雨ニモマケズ」  宮沢賢治

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラツテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ陰ノ
 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ツテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボウトヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハ
 ナリタイ

静かに笑って
自分を勘定に入れない
よく見聞きし解り
忘れない。

忘れるんだよなあ…。
先日買って1か月のニットのハンチング帽
電車に忘れました。

ぼーっとしてたらあかんでぇ!


      紫陽花や小さな夢の膨らんで    基風



        

2008年6月20日金曜日

プリザーブドフラワー

知らなんだ。知らなんだ。
このような花があることを…。

長持ちする花。
PRESERVE=保存する。
水をやってはいけないそうな。

病院のお見舞いの花
水に細菌が繁殖するってことで
禁止の病院があるそうな…。

花粉がダメという人にもいいし…。

結婚式のブーケ。
記念に残しておきたい人向け。

生花と違って在庫の管理がしやすいらしい。

花の気持ちはどうなんだろう?


      
      枯れぬ花水は苦手か桜桃忌     基風


      

2008年6月19日木曜日

クライマーズ・ハイ

うーん。これが映画になるか…。

遺族への配慮ってないのか?
事故現場の描写はどうするんだろう。
まだまだ記憶に新しすぎる。

いろんな理由を思い浮かべた。

小説にはなっても映像にするのは無理がある。
映画のスクリーンに収まるとは思えない…。

でも、7月5日全国封切りだそうだ。

1985年8月12日。
23年前…。
33才だった。

あの時の会社の雰囲気…。
時間を追うごとに重くなっていった。

1995年1月17日も
2005年4月25日も

命日になる可能性があった。

今日の今まで生きている。


ぼーっとしていてはいけないのである。


       
      夏の山やらねばならぬことのあり    基風