自己紹介

自分の写真
住民代理店BOB(Break Occupied Barier)代表。自転車で俳諧するおっさん。ミッションは誰かさんを輝かすこと。

2012年10月24日水曜日

ブックインとっとり

10月20日土曜日
自分が主役で動くときには雨。というのが定石だが・・・
この日は抜けるような秋の空。

フミメイ号でいのっしーと鳥取まで・・・。
ブックインとっとり地方出版文化功労賞・奨励賞の授賞式へ!

私以外の3人は秋のドライブ気分
私は受賞記念のスピーチの大役が当たっているうえ
昨晩遅くまでパワーポイント作りで完全に寝不足。

後ろの座席で仮眠を取らせてもらいつつ
中国道をひた走る

途中、西粟倉村を通過
森の学校に立ち寄る。

ばばよ―の本拠地
生憎いなかったが
和紙の一筆箋を購入。

中山間地を盛り上げようと
頑張っている人たちがここにもいる。

西粟倉から長いトンネルを何本か通り抜けると
鳥取だった。

日本一人口が少ない県というが
スモースイズビューティフル!
それがいいのだ。

会場の県立図書館到着。
駐車場は料金取らない。

ゆったりとしたスペースに
重厚かつモダンな雰囲気の建物。
なんか、文化の香り高いイベントに向かって
心が高揚する。

事務局の方々、他の受賞者はとともに
昼食、イタリアンバイキング。

奨励賞に東北大学講師の佐々木寿さん「東北ダイコン風土誌」
特別賞に山口県立大学教授の安渓遊地さん「奄美沖縄環境史資料集成」

どちらも永年のフィールドワークをまとめた大作である。
アカデミックな雰囲気に「場違い」の存在感が否めない。

「東北ダイコン風土誌」は402頁。
「奄美沖縄環境史資料集成」に至っては842頁。

わが方は196頁・・・。
素人出版プロジェクトの
ビギナーズラックみたいなものだから
比較にならない。

でも、全国の地方出版物650点の中から
一般来場者の投票で13点に絞り
11名の審査員が数カ月に渡って読破していただいた上での
受賞という経緯を聞いて・・・

ほんとにもったいなく、有り難いことだと
身の引き締まる思い。

このような賞をもう25年、四半世紀続けてこられた方々に
心からの敬意を表したい。

実行委員長は小谷寛さん。
老舗のお菓子屋さん「亀甲や」の社長さん。

私の隣に座られたのは実行委員のお一人、永井伸和さん
鳥取、島根の各地で店を構える「今井書店グループ」の会長さん。

お二人とも人当たりの柔らかな
紳士である。

このお二人が中心となって25年前に地方の文化継承と興隆を目的に
この賞を創設されたそうだ。

応募作品の条件に
鳥取県を除くとあった・・・

へえそうなんだ。
最初から全国を相手に展開されているんだ。

なかなか潔いなあ・・・。

会場は県立図書館の大研修室。
協創LLP関係者は
上山からかっち、美々。
大阪からぐろろ、丹波浪速道、デイオママ、まっちゃん、フミメイ、いのっち、やっしー、きっちい
村楽LLPから島根の協力隊まさどんが来てくれた。

有り難い。心強い。

久しぶりの背広。
1着だけほかさんと残しててよかった。

表彰式。
表彰状と盾をいただく。

こんなことめったにないぞ!

いよいよ受賞記念スピーチ。
幸いにも2番手

最初はダイコン先生の佐々木さん。
永年宮城県の農業高校で教鞭を取られた方

東北各地のダイコンの研究を生徒と一緒にやってこられた。

自分の出番が次なので
気もそぞろであった。

いよいよ、自分の出番!
昨晩3時まで掛かって準備したパワポをセット。

パソコン周りはフミメイがやってくれる。
ほんとに助かる。ありがとー!

さあ、演壇につくと
協創関係者も立ちあがって
おもむろにメリープロジェクトの傘を演壇の前方にならべ
「英田上山棚田団」の横断幕を広げ始める。

そして、会場のサイドに立ってそれを持ち並んだ。
くーっ!泣かせる演出やねえ!

落ち着いて・・・と言い聞かせて話し出す。

自己紹介→半農半Xとの出会い→協創LLPとの出会い→出版プロジェクトの成り立ち
→クラウドを使った本づくりの実態と経緯→本日来てくれたメンバーの紹介

という流れで話をした。

そして、最後のまとめ・・・

わたしのあとがきの最後に引用した宮澤賢治のことば 。

「風とゆききし、雲からエネルギーを得よ」

雲=クラウド=クラウドコンピューティングと
現代では読み解けるのではないでしょうか?

で、まとめようと思ったが・・・

もう一段階、ブックインとっとりに因んだまとめはないだろうかと考えた



そして、本番二日前にふと頭に浮かんだのが・・・

ブックインとっとりの「ブックイン」ということばどういう意味なのかということである。

気になったので事務局のMさんにメールで尋ねると・・・

「全国各地から本が鳥取にやって来るという意味です」という返事。

ふーん、そういう意味もあるだろうけど・・・

私の脳裏に浮かんだのは
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」 ネバーエンディングストーリーだった


主人公が読んでいた物語の中に入って行ってしまい、
多くの冒険を成し遂げるという話・・・。

物語の中に入ることそれが「ブックイン」なのではないか?

すると、この「愛だ!上山棚田団ー限界集落なんて言わせない!」は
まさに「ブックイン」する本なのではないか?

ただ読んで終わりではなく
読者にその気さえあれば、物語の中に飛び込んでいける
そいう類の本ではないだろうか?


話に入ってゆけるのはバスチアンだけだった。
かれ自身、このはてしない環に閉じ込められて
しまいたくなければ、それをしなければいけない
のだ。
・・・・・・・・・・・
「月の子(モンデンキント)!今ゆきます!」
その瞬間、多くのことが一度に起こった。


「はてしない物語」ミヒャエルエンデ作 上田真而子/上田真理子訳
岩波少年文庫

この本はそういう本だったのだ!

(次のスピーカーの安渓先生の話、途中で夢の中になってしまった。
出番が終わってほっとしたのと、深夜作業がたたった。ごめんなさーい!)



秋うらら人にそれぞれ物語

結末は自分で探す秋燈

褒められて舞ひ上がりたる秋の蝶



2012年8月28日火曜日

秋の気配

オフコース秋の気配

ああ、この季節になってきました。

還暦の年もあと4カ月・・・。

9月7日(金)綾部稲刈り
  15日(土)VISIONS かっち応援
10月20日(土)ブックイン鳥取表彰式(スピーチ)
11月23,24,25日自分収穫祭(四天王寺?)

この間協創LLP定例会、たくらまん会の計画・実施
さらに伊丹南中男子バスケ部コーチ・・・
親父さんの7回忌・・・

ブッキングしすぎ・・・

頼まれるといやと言えない性格・・・

ま、それが私の生きる道。

自分の蒔いた種だからね。

お座敷がかかるうちが花。

自分を制するものは自分。


  新涼や心熟する時を待つ

  公園に秋の気配かオフコース

  夏休みタイムアップの笛が鳴る

  自転車でゆっくり坂を晩夏かな



   

  

2012年7月24日火曜日

選考理由

昨年、協創LLPの仲間と一緒にそれこそ、「協」力して「創」造した本。
「愛だ!上山棚田団―限界集落なんて言わせない!」が

ブックイン・とっとりという団体から
「地域出版文化功労賞奨励賞」という賞をいただいた。

その選考理由が、吉備人出版さん経由で明らかになった。
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<選考理由>
岡山県北部、美作市(旧英田町〜あいだちょう)上山(うえやま)の農耕放棄された棚田が、LLP(有限事業責任組合)創立メンバーの一人の父親が田舎暮らしを始めたことをきっかけにして、LLPのプロジェクトの一つとして生まれた英田上山棚田団によって再び元の姿を取り戻していく過程と、それによって新たに英田の住民となるメンバーが生まれたりする展開が軽妙でテンポの良い文章と写真でつづられている。
インターネットを通じて知り合ったメンバーの「やる前からあきらめるほどつまらんやつはおらん」「やらんと後悔するより、やってから後悔したほうがナンボかましや」というあまり肩に力を入れず、トラブルさえも楽しみながら乗り越えていく「おもしろがり」とノリの良さ、「上山の千枚田」を核として、楽しむだけでなく地域の資源を多角的にとらえビジネスモデルとして持続可能なプロジェクトとして展開させる企画、その有りようと展開で地元の住民とも信頼関係を築いていく過程など読みどころがたくさんある。
しかし、限界集落や農耕放棄地を知る人にとっては読後感が分かれるかもしれない。たとえばこうしたノリの良い集団がそう多くない中で、問題を抱える地域は全国どこにでもあること、この本の中で地元に住みついて行う仕事が国の緊急雇用政策で賄われ、今年を時限とした施策であることなど突っ込みどころは結構ある。それでもこの本の中で展開されていることは地元にとって歓迎されており、こうした地域を維持発展することができる方法論のうち有力な一つであることは間違いない。
また、全体が関西風の軽妙さでつづられていることに、「そんなに簡単なことではない」と思われる方もあるだろう。しかし、プロジェクト全体を貫くこのノリの良さがこの本の特徴であり、多くの人が楽しみながらはたから見ると大変そうな事を継続できる力の源でもある。
今後のこのプロジェクトのさらなる発展を願うとともに、この本に触発されて田舎を楽しみながら守り、発展させていく人たちが生まれることを期待する。それがなんだか出来そうに思われるところがこの本の魅力である。
また、この本は発行元の吉備人出版による創立15周年記念公募作品優秀賞に選ばれたことによって発行された。その顛末が巻末に記されている。これ自体もワイワイ騒ぎながら、新たな才能が登場して本が作られていく過程や、選考されるかどうかの不安、選考されてからのドタバタなど関西ノリで描かれていてクスッと笑わされる。楽しい本である。



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実によく読み込んでいただいている。



最後の「楽しい本である」という一言がホントに嬉しい!


「楽しい事は正しい事」という協創LLPのスローガンにも通じているし・・・。


こうやって評価を受ける度に
だんだん大きくなって行き、一人歩きを始めるのだろう。


さあて、この本はこれからどういう風な旅をするのだろう?_




   夏休み褒めて育てる中学生   基風

2012年7月18日水曜日

半農半ジャーナリスト


一昨年岡山の吉備人出版15周年記念原稿募集に応募して最優秀賞をいただき、
「愛だ!上山棚田団―限界集落なんて言わせない!」として昨年6月30日に発売された。

協創LLPのみんなで、親類縁者。友人知人。いろんな方面に声をかけ、
買い取った1000部も残りわずかとなり、
さらに100部追加したものの・・・

「正直、もっと売れると思ったけど・・・」という気持ちが胸を過ぎる・・・
「世の中甘くないな・・・」と思いだしたその時に・・・

ブックインとっとりという団体 http://www.bookin-tottori.co.jp/index.htm から
「地方出版文化功賞・奨励賞」に選ばれたという朗報が・・・!

さらにさらに、先日、「農力検定テキスト」(コモンズ)の出版記念講演に塩見直紀さんが登壇されるということで、東京まで出かけて行き、その懇親会の席上で、パソナのセキサカ大明神に紹介してもらったのが・・・ジャーナリストの高野孟(はじめ)さん。

「この方なら、きっと分かってもらえる!」と献本したら・・・

早速、氏の主宰する「高野孟のTHE JOURNAL」というメルマガで取り上げて下さった。

高野さんは、千葉県の鴨川自然王国を始められた藤本敏夫さんの友人で
ずいぶん前から農的生活を始められ、半農半ジャーナリストを標榜されている。

藤本敏夫さんの妻である加藤登紀子さんが、夫の遺稿をもとに出版した
「農的幸福論」でも「同志・藤本敏夫への挽歌」を記されている。

本をお渡ししたのが先週の水曜日、
メルマガの発行が今週の月曜日・・・

わずかな期間に読破し、私たちの言いたかったことを明確に評論して下さった。
感心するばかりである。

心から感謝します。


梅雨明けや諦めるのはまだ早い



以下、許可を得て転記します。==============


〓〓〓 BOOKWORM No.034  〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

書評:協創LLP『愛だ!上山棚田団』(吉備人出版)

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この本は凄い。棚田の再生、地域活性化、都市農村交流、田舎暮らし
等々についての記録や提言は数多いけれども、大阪市西成区に生まれた
都会人の何やらよく分からない集団が、ひょんなことから岡山県美作市
上山地区の“限界集落”の絶滅寸前だった棚田の再生に取り組むことに
なって、アッという間に地元のジジババや市当局まで巻き込んで里山大
復活プロジェクトを展開するまでになるというこの物語ほど、日本の先
行きに希望を与えるものはない。

商社を早期退職したビジネスマンが、田舎暮らしに憧れて、たまたま
この集落の物件を紹介されて購入した。その一帯は、つい50年前までは
大小合わせて8300枚ものの棚田が広がるこの地方でも有数の米どころで、
しかし今はほとんどが耕作放棄されて蔦や葛や茨に覆われた荒れ放題の
姿を晒していた。やがて地元のババに手ほどきを受けて米作りを始めた
元商社マンは、大阪でサラリーマンをしている長男に、水路掃除や草刈
りを手伝えと声をかける。最初は何の気なしに手伝いに行っただけの長
男に、地元の人が「友達でこういう田舎に興味を持つ人がおるなら連れ
て来い」と語りかける。長男は、ちょうどそのころ大阪で「協創LLP」
という団体を立ち上げたところで、その仲間たちに話すと、たちまち13
人が応募してきて、そのLLPのプロジェクトの1つとして「協創ダッシ
ュ村」、後の「上山棚田団」が結成された。

LLPとは、余り馴染みがないかもしれないが、Limited Liabilty
Partnershipの頭文字で、日本語では「有限責任事業組合」という。イ
ギリスで始まった、弁護士や会計士など専門職同士のネットワーキング
型の協業を税制面の優遇によって促そうとするための制度で、日本でも
05年に法制化された。今では、NPO法が昨年大改正されて、NPOが設立し
やすくまた税制優遇も受けやすくなって、使い勝手が格段によくなった
ので、LLPは影が薄くなったのかもしれないが、それはともかく、これ
を活用して、何か面白いことをいろいろ企もうじゃないかということで
協創が立ち上がったところへ、この話が飛び込んできて、軽薄にも、当
時テレビで人気だった(福島県浪江町の)「ダッシュ村」にちなんだネ
ーミングで浪華っ子たちの田舎通いが始まった。協創とは、「競争」で
はなく「協創」──フラットな繋がりの中から、お金を得るための「稼
ぎ」もさることながら、まずは世の中を楽しくすることに貢献する「仕
事」を大事にするような価値観を持った社会を実現しようという、彼ら
の心意気を示す言葉である。

大阪から車で2時間半、手弁当でやってきては嬉しそうに荒廃棚田の
草刈りや森林の整備に取り組む彼らに、最初のうちは「お前ら、頼まれ
もしないのにこんなことをやって、何が面白いんだ」と言っていた地元
民も、次第に一緒になって作業をするようになり、やがてそれは、かつ
ては周到に準備して村中挙げて大々的に行われていた“野焼き”を復活
させることに繋がっていく。さらに、雑草対策に山羊や牛を飼い、日本
ミツバチの飼育を広げ、竹林を整備して炭窯を築き、古民家を再生して
村の交流センターを作り、自然エネルギーによるエネルギーの地産地消
を構想し……という具合に、里山の大復活が進む。その中で、彼らが作
る米も、最初はわずか180キロだったのが、3年後には1.6トンに膨らみ、
それもLLPを通じて都会にアッという間に売り捌かれていくまでになっ
た。

遡れば奈良時代から始まったと言われる棚田をそこまで荒れたままに
放置したのは、地元の責任だけれども、しかしそれは「考えに考え抜い
た挙げ句の苦渋の選択だったのだ。年老いて田んぼを維持できず、かと
いって後継者もいないが故に一度は田んぼを止めると決めた。『今さら
農業みたいなしんどいことをするアホはいない』。それが常識だった」

ところがそこへ都会から、嬉嬉として草刈りをし田植えをするアホた
ちがやってきた。そのアホたちが、地元の発想の“限界”を軽々と突き
破った。どうしてそんなことが起こるかというと、「小さな諦め」の連
鎖が「大きな停滞」を生んでいただけだったからだ。ここが重要だ。農
村、とりわけ中山間地の超高齢化した村々の諦めは深いが、しかしそれ
は「小さな諦め」の積み重なりにすぎない。一見するとどうにもならな
い「大きな停滞」のように映るけれども、都会から面白がりで闖入して
きたアホたちの引っかき回しによってその諦めの連鎖が思いのほか簡単
にブチ切られて、切れてしまうと個々の諦めは実は小さいから、めくり
返されてしまい、停滞の大きさを打破する力が蘇る。そういう可能性が
村々に潜んでいることを、上山棚田団が示した。

この本は、7月11日のあるパーティ(Cofab参照)の席上でたまたま
紹介された原田明さんからプレゼントされた。彼は大手広告代理店を早
期退職して「住民代理店BOB」を営みつつ農的生活を送り、協創LLPのメ
ンバーにもなっている方で、この本のプロデューサー兼、クラウド・コ
ンピューティングを通じた協同編集作業の編集長である。本の表紙チラ
ッを見ると「限界集落なんて言わせない!」という副題が付いているの
で、私が「そうですよね。“限界集落”って“後期高齢者”と同類の無
慈悲な官僚言葉ですね」と言うと、彼は「僕らはちょっと違うんですよ。
“限界”なら突破すればいいじゃないか、と。これが“限界”ならそこ
で目標が見えるんで、後は突破すればいいだけじゃないですか」と言っ
た。▲

2012年1月31日火曜日

コーラス

コーラスがこんなに楽しいものだった
なんて知らなかったよ・・・。

協創LLPの個人博の打ち上げで
ケイコさんと知り合いになりました。

声楽やピアノの先生なんですが
社交ダンスも習っているとのころで・・・

「ああ、うちの娘もK大学の社交ダンス部でしたよ
勉強せんとダンスばっかりしてました。アハハ・・・」

「へー、今習っている私のせんせもK大のダンス部ですよ!」

「ええっ!名前は何と?」

「Mせんせ」

「ええええええええええ!そ、それは確か・・・うちのむすめとペアを組んでいた!M君じゃあ?」

てなことで盛り上がり・・・

そのケイコせんせの主宰される
「パワフルコーラス」なる教室に通うことになり・・・

行って見ると・・・

なんと、男声は私ひとり!
ええ、これはエライところに・・・
と思ったが、行きががり上帰るわけにもいかず・・・

その名の通りパワフルなケイコ先生の的確なご指導で
発声を繰り返していると

「お尻の穴は締めて」とか
「下半身はどっしり構えて」とか
重心道にも通ずる指示が次々と出てきて

なるほど、重心道は何にでも対応できる
基本動作であると再認識した。

「いい声だ」
「高い音も出るねえ」
「他の合唱団に入っていたの」とか
言われて

調子に乗ってまた
横好きアイテムが増えていく・・・。

次の宿題の曲は
「ほらね」という曲

歌う前から涙が出てきそうないい歌である。


【ほらね、】いとうけいし


1)
川は風と語り合っているよ
鳥は花と触れ合っているよ
日差しは木の葉とじゃれあっているよ
雨は蛙と頷き合っているよ

ほらね
僕らは一人ではない
きっとね
誰も一人ではない

それでも悲しい日があったら
それでも涙が止まらない日があったら
ゆっくりそっと歌を歌おう
思い出詰まったあの歌を
うたはあなたの大切なともだち
いつもそばいる大切なともだちだから

2)
魚は波と競い合っているよ
山は雲と呼び合っているよ
窓はピアノと微笑み合ってているよ
雪は灯りと見詰め合っているよ

ほらね
僕らは一人ではない
きっとね
誰も一人ではない

それでも寂しい夜があったなら
それでもどうしても眠れない夜があったら
ゆっくりそっと歌を歌おう
微笑み詰まったあの歌を
うたはあなたの大切なともだち
いつもそばいる大切なともだちだから


   早春賦目から声出す合唱団   基風


2012年1月24日火曜日

還暦・感激・進撃

1952年1月23日。


私は東京都杉並区西荻窪で生まれました。


父、修。母、きよ子。長男でした。


映画「3丁目の夕陽」の時代ですね。


そのころ、日本はまだアメリカに占領されていました。


わが家の柱時計にははっきりと


「Made in occupeid Japan」と書いてありました。


この年の4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効。


連合国諸国と日本の戦争状態を集結させるための平和条約でした。


盟友フミメイこと田中文夫は、この年に生まれた子供たちを


ラスト・オキュパイド・チルドレン(LOC)と名付けています。



おそらく、私たちはそれまでの重苦しい雰囲気から


解放された明るい兆しの中で生まれたのだと推測します。



その時から60年、世相は暗い方に流れていく感じがしますが


私たちLOC世代は生まれつき、明るい方へ向かいベクトルを持っているのでしょうか?


なんとか明るい世相に持って行くように創意工夫したいという気持ちです。



1月21日(土)に還暦祝いを家族がしてくれました。


私にはだまって、東京にいる娘たちも帰ってきていて


サプライズ・パーティを仕込んでくれました。


これまで家族に注いできた様々なことが


まとまって戻ってきて、大いに感激しました。


人生最良の日であったと言ってもいいでしょう。



以前から欲しいと思っていたipadを赤いカバー付きでプレゼントしてもらいました。


背面には刻印が・・・


    家族より心を込めて 愛pad


       We Love Otou! 


さらに、スイッチを入れると、家族一人一人からのビデオレターが仕込まれていました。


粋なことやるじゃない!(笑)


子どもたちが予想以上にしっかりしてきていて


それぞれ社会人として成長していると実感しました。



もう後顧の憂いを持つことなく前に進んで行けます。


竜の落とし子は「還暦ドラゴン」となってゆっくりと飛翔を始めます。
(かっこよすぎ?-笑-)




     還暦の朝日に歌う早春賦



2012年1月7日土曜日

おもしろ広場


大庄(おおしょう)おもしろ広場、

本日はもちつき大会。

代表のビリーさんは朝から大忙し。

廃校になった中学校の校庭を

地域の交流拠点にしようと頑張っておられます。


都会で火を燃やすことができなくなってしまい、

子供たちは火について何も知らないまま大きくなってしまう昨今ですが、

ここの子どもたちは枯れ枝をポキポキ折って、

火にくべるという行為を楽しそうにしていました。

こうして物が燃えるということを体感して行くのです。

危ないからと遠ざけていると

火の暖かみや怖さを知らないまま大人になっていく・・・、

それはいかにも残念でもったいないことです。



昔はこんな広場があちらこちらにあって、

ガキ大将を中心とした子供の集団がてんでに遊んでいました。


この広場がこの地域のコミュニティづくりに活躍するよう

微力ながらお手伝いしたいと思いました。

(ちなみに今回の件はちゃんと消防署に届けておられます。)



    たき火する昭和の少年嬉々として